池袋は原っぱだった時代から
いつでもひとが集まる場所

生まれも育ちも豊島区という高山さん。まもなく「ハレザ池袋」がオープンしますが(取材当時)、まちの変遷をどのように見てきましたか?

大きくかわったのは1957年に三越デパートができたのがきかっけだったように思います。1964年の東京オリンピックの開催の頃には砂利道は舗装され、商店も増え、住んでるひとだけではなく、外からもひとがきて賑わうように。今は全国チェーン店も増え、若い家族連れや外国からのお客さんも目立つようになりましたが、人々の集まる場所というのはかわりませんね。

中池袋公園は、昼は子どもたちの遊び場。夜になると街頭テレビに、大人も子どもも集まってきて、野球やプロレス中継に歓声を上げていたのを思い出します。いまは大きなビルが立ち並び小さなお店もたくさんですが、この界隈には暮らしている家族もたくさんいたんです。人付き合いも親密で、都会っぽさはなかったなと思います。子どももおおくて。自分の時代は1クラス50人とかいましたね。近所にはたくさんのひとが住んでいましたが、商業地となった今ではうちとお隣さんくらいかな」

芸術を創造する若者が集まる池袋
ますます魅力あるまちになってほしい

「ハレザ池袋」ができることをきっかけに、どんどん進化するまち。今後に期待することはなんでしょうか?

ー「区役所があったときは、やっぱり人通りは今よりも多かったですね。学生さんもお勤めのかたも。手土産で何十個も買ってくださる方もたくさんいて。一番の最盛期は、1日3000個も売れたことがあったんですが、時代も変わり、今は若い子たちが食べ歩きする用にひとつ、ふたつ、という需要が多いですね。外国のかたが来ることもあり、時代の変化を感じています。こんなふうにどんどん移り変わる池袋で、朝4時から餡を仕込み、食堂も経営しながら商売をしてきましたが、家族経営ですし、今は無理しない量をつくり、売り切れ次第で店じまいというスタイルに。いつまでできるかわからないですが、のんびりとお店を続けられたらと。

ハレザ池袋のオープンはとても心待ちにしていました。まちがさらにどのように変化していくかが、楽しみなんですよ。池袋は、新しい劇場ができるずっと前から、芸術を創造する若いひとが集まる魅力あるまち。これからもますます賑わいのあるまちになればいいなと期待しています」

文:田口みきこ
写真:西野正将